押しつぶされる側から開発を考え 切り捨てられる側から宗教者の在り方を問う

  • 2023年5月6日
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原発立地で市民運動に取り組む 長田浩昭師(能都町・大谷派)

1995.11 浄土宗『教化情報ファイルVOL4』に投稿したもの

六ヶ所村からみえるもの

1995年7月、「原子力行政を問い直す宗教者の会」第三回全国集会が、青森県六ヶ所村で開かれた。下北半島の付け根、太平洋に面し漁業、酪農、畑作を中心とした人口1万2000人の六ヶ所村に、核燃サイクル施設――ウラン濃縮工場、放射性廃棄物埋設センター、再処理工場――が建設され、徐々に操業が始まりつつある。日本中の原発から出る放射性のゴミ(低レベル)や使用済み燃料の再処理によって生じる放射性廃棄物(高レベル)がこの村に運び込まれる。
核燃サイクル施設と平行して建設される立派な公共施設が象徴するように、核施設を誘致することで経済的に潤う人々もいるだろう。しかし、美しい自然や小さないのちを思う地元の人々、この土地で野菜を作り、漁をし、子どもを育てる人々にとって、大きな不安であることも間違いない。
この地に立つことで、今の日本の構造、別の言い方をすれば、私たちの生活や、それを支える精神文化の有り様をまざまざと見せつけられる。釈然としないまま、強い力で推し進められていく大きな流れ。既成事実を何となく受け入れながら、いつしかあたりまえとなり、手放すことのできない恩恵にあずかっている人々。一方で、大多数には見えない矛盾のしわ寄せを受ける人々。

「国策=核燃サイクル」を問う

今回の集会のテーマは『「国策=核燃サイクル」を問う』であった。真宗大谷派長慶寺住職、長田浩昭師(石川県鳳至郡能都町)は、発題者の一人として、自らの能登での反核・反原発運動と重ね合わせて「国策」と住民意識について提起する。
いのちや環境、安全性の問題、エネルギーの節約などの議論では、日本の原発は止めることはできない。すでにフェード・アウトを始めている欧米の原発は、経済原理や一人一人の生活の見直しで止めることができても、日本においては本質的に別の問題が横たわっている。結局のところ住民が原発立地を受け入れるのは、「国がやっていることだから」(だいじょうぶ)(反対してもしかたがない)(逆らってみてもろくなことがない)という「お上」意識が根底にある。自分自身で考えようとせず、問題に取り組まず、たとえ声を発しても損をするだけという、盲信、絶望、あきらめが地方の原発立地地域には漂っていると指摘する。
もちろん、そんな不遇でやるせない思いなど無関係な、しかし供給されるエネルギーのほとんどを消費する都市部の住民にしても、その意識は大差ないだろう。

戦争責任をベースに

ここで「戦後五十年」を出すまでもなく思い浮かべるべきことは日本の近代史、それこそ「国策」と国民であり、それに長田師は真宗教団のかかわりを振り返る。まず「富国強兵」で、金と力をもって弱い者を踏みつけ、世界に君臨することをめざす。そのために、本来被害者である者を加害者の立場に立たせた。当時差別される側にいた真宗門徒を北海道開拓に引き連れ、開教の名目でアイヌの人々のすべてを奪った。満蒙開拓はじめアジアへの侵略、植民地政策においても、軍隊の先兵として皇民化政策を教団の名のもとに推し進めた。従軍僧も従軍慰安婦とセットで送り込まれた。本来虐げられる苦しみを知っているはずの感性も、「国策」の前に押しつぶされ、加害者になっていく。
「国策」を進めることにより、結果的に誰かが犠牲になるのではなく、「国策」自体がそもそも、誰を犠牲にするかを決めることから始まる。そんな「棄民政策」を真宗教団が支えた歴史がある。それは、いのちが奪われていくことに見て見ぬふりをしてきた歴史であると長田師は振り返る。
浄土教の出発点は、すべての人が救われる念仏であって、最大多数の最大幸福のために、誰かを切り捨てることでは決してない。戦時中「生きては、これも皇恩のおかげと、義勇奉公の志を抽でねばならない」と説かれた報恩感謝の念仏の教義が、人々を駆り立てたことは、厳粛に考えるべきだろう。
この「国策」は戦後にも引き継がれる。高度経済成長は所得倍増という甘言とともに受け入れられ、公害はじめ様々な社会問題を引き起こしながら、すでに大多数の人々の生活の基礎となっている。その一方で農漁民の切り捨てがあり、そして原子力政策もある。「国策」に従順な地域として北陸と東北があり、そこに原発が立ち並ぶ。表面的には経済的貧困が「国策」を受け入れた。
しかしここで「差別する者・される者」「切り捨てる者・切り捨てられる者」「踏みつける者・踏みつけられる者」というかたちで分断しつつ推し進める国策、国全体の在り方や方向性を捉える必要がある。そしてこの構造そのものから「原子力行政を問い直す」のが宗教者の課題であると長田師は語る。
それは、人の痛み、悲しみを「無視しうる数量」として切り捨てるこの国において、差別されるもの、切り捨てられるもの、踏みつけられる人々に耳を傾けることから始まる。それは自らの加害性を歴史的・社会的現実の中で問い続けることであり、踏みつけられる人々に救いをさしのべるのではなく、踏み続けられる人の視点によって、踏み続けていく私自身の救いを明らかにすることだ。
この「宗教者の会」に集う仏教者もキリスト教者も共通の認識として、宗教者としての戦争責任がある。戦後五十年、問い直していく視点が奪われ、本質的に何も変わっていない意味で、戦後責任もある。国に対してものを言うことなく、今の現実を生み出してきた。政治・社会問題全体に対して、あるいは人の在り方や価値観に対して、それはおかしいんじゃないかと言わなかった宗教者の責任である。その責任をどういう形でとるか。
終戦五十周年の今年は台湾統治百周年でもある。長田師は台湾を訪ね、真宗教団や日本の仏教界が50年の植民統治下で何をしたかを調べた。仏教界でも戦争責任という言葉がやっと口にされるようにはなったし、ときどき「表明」のようなものも見られることは確かだ。しかし、きちんと資料を調べて事実を明確にした上での責任についてはほとんどとられていないのではないか。とりあえず学校教育などでは、子どもたちを戦争に送ったことに対する反省を含め、さまざまな検証が行われてきたが、仏教界と企業はほとんど何も責任をとっていない。長田師が台湾で調べただけでもかなりの問題が出て来るが、そういう事実を教団や仏教界が正面から受け止め、認識して、責任を明らかにしたことはない。

原発との闘い

長田師は、誰も責任をとろうとしないこの無責任国家において、核燃や原発をまさしく宗教者としての自己の問題として、責任をとりつづけていこうと思っている。
一九六〇年生まれの長田師は、急死した父の後を受けて住職になり、十年前に能都へ戻ってきた。反原発運動との本格的な出会いは七年前、隣町の珠洲市長選がきっかけだった。原発推進派である保守系現職市長に対抗して、教師や僧侶を中心とした数人の仲間で、反対派の候補をたて選挙運動をした。「お上」第一主義のムラ社会にあって、それまで反対運動もほとんど盛り上がらなかったが、少なくとも自分たちだけは反対の意志表示をしたい、という思いだったという。
投票一週間前の告示日から始めた選挙活動も厳しいものがあった。反体制と見られることが命取りとなりかねない田舎町で、街頭で呼びかけても、多くの人は逃げるように家に入ってしまう。そんなだから、全く期待はしていなかった。
しかし、押さえ込まれたように静まり返っていた町が、革命のように変わったのは選挙戦最後の二、三日だった。家に隠れてしまった人も、カーテンの陰でこっそりと訴えを聞いていたのだ。それがこらえきれずに、支持を表明する人が出始めた。
はたして結果は、結局は破れたが、現職市長が八千票、押した候補が六千票、そしてもう一人、反対票を割るために出た保守系で原発反対を掲げる候補が二千四百票だった。八千四百人、当選候補への票数を四百も上回る人々が、原発反対を表明する候補に投票した。この町に原発は要らないという意志表示だととってもいい。
選挙には負けたが、とりあえずこれで原発は止まると思った。しかし、その一週間後、関西電力が急に事前調査を強行するという。それから、市役所前と現場で四十日間の反対の座り込みが行われた。その間に、大谷派の地元教区が反対の決議をするなど、原発に対する態度が表明されてきた。ところが、その意志表示をもって、地元の他宗の寺院を回ったが、一人として乗ってくれなかった。個人的には自分も反対だが、檀家さんの手前そういう意志表示はできないという答えが返ってくる。きっとそういう人たちは、反対派がマジョリティーになれば、手のひらを返したように、反対だと言うのだろう。つまり自分自身の意志ではなく、周りがどうかという、つねに体制側に身をすり寄せてきた自分たち僧侶の姿を感じたという。大谷派に関しては、靖国とか同和の問題に取り組んできた背景と、県内千ヵ寺をはじめ北陸原発地帯で活動してきた若い担い手たちがたくさんいたことが、この問題への取り組みを進めたといえる。

「既成」寺院からの脱却

僧侶として政治的な活動にも踏み込んでいく点について、檀信徒をはじめ一般在家の人々の反応やつながりはどうであったのか、長田師に聞いた。
衣を着て、マイクを持って、大胆に訴えていくようなことは、既成の檀家さんにすんなりとは受け入れられない。しかし、そういうことをすることによって全く違う人間関係が開けてきた。檀家とか宗門という関係を超えて、反核・反原発運動に取り組む仏教者を評価する人としない人に分かれる。しかしそれは純粋に評価するのではなく、多くは自分の利害に基づいている。「坊さんがそんなことして」などと言う人は、自民党の幹部であったり、町の経済を握っている人が多い。そこからはかなりの抵抗や非難はある。しかし逆に、そんな一部の人が経済や政治を牛耳ってきたことに対して、その対極、とくに最下層にいた人たちは矛盾と憤りを感じていた。僧侶としての意志を明確にすることで、感動したり共感したりする人はかなりいることは実感したと言う。それは同時に、今までの寺と檀家という閉鎖的な関係でなく、形を超えた人間と人間のつながりとなっていく。損得勘定ではなく、針のむしろに座らせられながらも自分自身を主張していく姿を見て、本当はイヤだと思っていながら、その意志表示ができずに、有力者や体制に追随している人も、自分の姿をゆさぶられる思いはあるのではないか。
「既成仏教」と言われるが、既成の座に安住する教団の前に、「既成寺院」からの脱却を、一人一人の宗教者が実践として取り組むことが始まりだろう。

宗教者の連帯に学ぶ教化のありかた

宗教者との連帯について、長田師は、まさかこんなに違った宗教の人たちと一緒に出来るとは思っていなかったと語る。とくに独自の教えを大切にする真宗にとって、他の宗教宗派は邪教であるという意識もある。しかし、一つの同じ課題を前にしたとき、その違いを超えて、それぞれのアプローチを理解し、認めながら一緒に取り組むことができる。教義が先にくれば、もしくは教義が目的となれば、自分たちの形や、自分たちの言葉でしか正当性を表現できない。そこには論争と対立しかない。しかし、現実の問題をどう解決しようかという視点に立ったとき、その方法を学び合うことはできる。
そういう意味でもこの「宗教者の集い」は大きな意味を持つ。
ここで「布教・教化」について考えたい。既成化された仏教、すでに歴史と伝統、組織と知名度に裏付けられた教団が、自分たちの教義を伝えていくことが、一般的に我々にとっての布教であり、教化だというのならば、そこには出発点に関して大きな間違いがあるのではないか。はじめに教義ありきではなく、まずは具体的な問題、横たわる現実を、苦しみ悩む人々の立場に立って、ともに考え取り組むことからはじめるべきではないか。釈尊や各宗の祖師がそうしてきたように。用意された答を上から押しつけることではない。
教義に始まり教義に終わる。そこに埋没したような仏教者のありかたはもう信用されまい。それをかたくなに守ろうとすれば、それは坊さんの生活を守るためとしか受け取られないだろう。現実と正面から向き合い、それを共に乗り越えていくような活動が、僧侶にも求められている。しかし、いまだに現実の問題は宗教の問題ではないと言う人もいる。宗教者が政治や経済の問題にふれることをよしとしない風潮も根強い。しかしこれが、日本の社会的精神風土とあいまって、かかわらないというかたちで国策を受け入れてきた。体制に疑問を抱かず追従してきたことを、深く反省する必要があろう。

六ヶ所村には、放射能の不安に苛まれながら、この地の未来を守るため反核・反核燃運動を続ける人々と、生活を共にし、活動をサポートし、時代の証人として生きようと、各地からやってきた人々が大勢住んでいる。宗教者も少なくはない。
自分が育てた農産物、自分が採った海産物を、自信をもって出荷できない。意志表示をしたことによって多数派から疎外され、家族の人間関係も切り裂かれてしまう。そういう現実の中に身をおいて、切り捨てられる側から見渡したとき、より広い社会の矛盾や誤魔化しが見通せるのではないか。
原発に限らない。いじめ、従軍慰安婦、老人、障害者、在日外国人等々・・。そこで問題の本質を真剣に問うならば、きっと私たちが犯している重大な過ちを気づかせてくれるはずだ。立派な伽藍の中や、ふかふかの座布団の上にいたのでは決して出会うことのできない現実の世界、人間の心の内側が見えるに違いない。

(『教化情報ファイルVOL4』 1995.11)

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