寿光院の歴史

 

東京・小松川にある寺院

正式名称は「西方山 無量教寺 寿光院」といい、元和3年(1617年)に 圓蓮社鏡誉輪冏上人によって開創され、
寛文3年(1663年)より 総本山 知恩院(京都)の末寺となりました。

昭和 20年(1945年)3月10日の東京大空襲で本堂、庫裏、書院などすべての建物を消失し、先代住職の機転で池の中に投げ込まれた本尊のみが難をのがれました。

戦後しばらくは本堂、書院、庫裏を兼ねた木造平屋建の建物でしのいでいましたが、昭和 42年(1967年)に、鉄骨造の旧本堂が再建され、寺院機能を回復しました。

かつては檀家20数軒というごく小規模の寺院でしたが、平成8年から境内墓地の整備事業を開始し、約250軒の新規檀信徒を迎え、平成 11年(1999年)に、庫裏と客殿を併設した釈迦堂が完成しました。

平成 28年、旧本堂の老朽化によりご本尊を釈迦堂に遷座しております。

本尊の阿弥陀如来(坐像)が当院に迎えられた由来は不明ですが、本体は室町初期、あるいは鎌倉末期の作といわれ、顔の部分だけ江戸時代に当時流行の「藤原様式」のお顔に彫り直されています。

両手の印は、右手が施無畏(せむい)、左手が与願(よがん)の来迎印です。

 


 

浄 土 宗
宗祖 法然上人(源空・1133~1212)
総本山 知恩院(京都・東山)
https://www.chion-in.or.jp/
大本山 増上寺(東京・芝)、光明寺(鎌倉)
善光寺大本願(長野)、百万遍知恩寺(京都)、他
末 寺 全国約7000か寺、都内約430か寺

阿弥陀如来の救いを信じ「なむあみだぶつ」の念仏をとなえることにより、
どんな罪深い人でも極楽に往生することができる。
万物宇宙のおかげに感謝し、自分自身をみつめ、明るく正しく仲良く生きる生活をすすめています。

 


めざせ、極楽 。
「幸せになりたい。みんなを幸せにしたい。」という人々の願いがすべて叶えられた世界が極楽浄土です。
寿光院は、そういう世界をめざして、今を生きる人々を応援するお寺です。

 

 

過去と向き合い、未来に希望を 。
ご先祖や亡き大切な人の願いを受け止め、そのいのちの力に出会った者の喜びとして、責任として、未来に確かな希望をつなげる幸福を分かち合いたいと思います。

 

 

\幸せをつくり出す人々と共に/
私たちの過去にも飢餓や戦争など多くの苦しみがありました。現代社会も様々な課題が山積しています。
そんな中でも、いのちの願いを受け止め、あきらめずに希望をかたちに変える力を支えたいと思います。

 

 

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