開宗850年 施餓鬼会表白

施餓鬼会表白

 施餓鬼会の由来は、あと三日の命と予言された弟子の阿難尊者に対し釈迦如来が示された菩薩道の実践なり。過去から未来、ミクロの世界から宇宙まで、全てのものは互いにつながり合う縁起の世界に生かされているという自覚の上に、仏の心、つまりすべての生きとし生きるものへの慈しみの心を起こし、感情に乱されることなく正しい教えを保つことが真の幸福な生き方であること伝える大事な法要なり。止めどない欲望と憎悪に支配され心の満足を知らぬ餓鬼たちは、闇の中に沈み、知恵の光は届かず、黄泉の国に漂い、飢えと怒りの炎が常に燃えさかり、苦悩と悪意が絡まり合い止まることがない。悪人は悪を以て集まり、悪意の連鎖は止むことを知らず、嫉妬や無慈悲な強欲、自己中心の憎悪や怒りはまことに哀れでまことに恐るべきことなり。釈迦如来は阿難のために、それら無限の欲望にかられる餓鬼に対しても計り知れない飲食を施すことのできる修法を授けられた。心静かに心清らかにこの行法を行ない呪文を唱えれば、僅かの飲食でも、全ての餓鬼を満足させる量に変じることができる。阿難はその教えに従って行法を修して、三日と言われた寿命を転じて長寿を得て福徳も一層高まり、餓鬼たちも悉く天界に生まれかわることができた。この釈迦如来の法は単に現世を利益するのみでなく、遠く未来にも通ずるよう修行者たちが結集してこの教えを伝授して、今日に至るまで皆功徳の賜を受ける。大いなる哉、これ真に不可思議なり、広く施して生きとし生けるものを救う道を受け継がん。
 欲望と憎悪に駆られ真実に目を背けた者に支配される世界から、仏の心を起こし信頼と分かち合いの関係を積み上げる世界へ向け、喜んで与える人間となろう。物があれば物を、力があれば力を、知識があれば知識を、みんなに与えよう、なければ自分の中に育てて与えよう。与えるとき人は豊かになり、惜しむとき命は貧しくなる。
 いまここに修し奉る施餓鬼会は、寿光院開山上人中興歴代諸上人荘厳浄土ならびに当院開基以来総檀信徒各家先祖代々先亡有縁の諸霊及以昨年施餓鬼会より本日に至るまでの新亡の諸霊位追善菩提、さらに願わくは過去の大戦から今なお止むことのない戦争の犠牲者の諸霊位、さらには大地震をはじめ人類の欲望と共に巨大化する天災地変、健康被害による横難横死諸霊追善菩提、貧困や搾取、人権侵害など近代文明の陰で制度化された暴力の犠牲者、いわれなく殺害され、もしくは人知れず没してゆく諸霊等三界万霊の冥福をすすめんがためにこの法会を催し、道場を荘厳し供え物も整い、宗祖法然上人開宗八百五十年に当たる施餓鬼会の開式を謹んで宣言する。

>