「戦争を支持する人々と対立の構図」
今更何を言っても始まらない状況になってしまっているが、あらためてイスラエル・パレスチナ問題について振り返り、戦争の本質について考えたい。
実際、神が与えてくれたという聖書を根拠に領土を主張する人々もいて、宗教的な対立と言われるが、それは本質ではない。エルサレムを見れば、諸宗教が千年以上にわたり共存していることは一目瞭然で、離散したユダヤ人がパレスチナをめざすシオニズム運動も高々百年程度の歴史でしかない。
現在のパレスチナ問題の起点は、イギリスの委任統治下にあったパレスチナを分割し、1948年にイスラエルだけが国連の承認を得て建国されたことと考えるべきだ。同じ年の12月10日に世界人権宣言が採択され、どちらも背景にユダヤ人を迫害してきた西欧諸国の贖罪がある。
住民に主権がないが故に分割されてしまったのは朝鮮半島も同じだ。当然ながらパレスチナ人は反発し、周辺アラブ各国も加勢するが、米国の支援を得た圧倒的な軍事力によってさらに狭められ、挙句、軍事占領下に置かれてしまった。
その後は第一次インティファーダ、オスロ合意と暫定自治開始、第2次インティファーダから対テロ戦争の時代、パレスチナ選挙とパレスチナの分裂などの動きがあったが、いずれにおいても主導権は現在も含め占領支配しているイスラエル側にある。
オスロ合意以降、パレスチナ国家に向けた希望も一時あった。しかし、国際監視団も入り中東アラブ地域で初めての民主的な、と言われた選挙が行われ、ハマスが勝利すると、そのパレスチナの人々自身の選択を欧米諸国が潰しにかかり、ガザと西岸地区が分断された。
確かにハマスは、私たちが目にする報道では武装集団としか見えないがそれだけではない。占領下で機能しない自治政府に代わって医療や教育、福祉を担っていた。軍事占領を終わらせたら、国際社会が支援して文民政権へと成長していく可能性はあった。そもそもイスラエル政府だって建国時はゲリラ(今でいえばテロリスト)だった人たちで構成されていた。またもや国際社会に裏切られた人々の絶望は大きい。
30年にわたり市民としてこの問題に関わってきて最も強調したいことは、本当の対立軸は国家間でも民族間でも宗教間にあるのではないということだ。
イスラエル側にもパレスチナ側にも、相手を認めず抹殺したい勢力と、世界人権宣言が求めるような民主的な平和共存をめざす人々がいて、多くの「一般人」がその間にいるという構図がある。イスラエルの抑圧が厳しくなるとテロが起きる。テロが起きるとそれを制圧するタカ派(極右)への支持が高まる。タカ派が政権を取り、締め付けや軍事行動が増すと、パレスチナでは原理主義が台頭する。そういうことで、一番対立しているように見えるイスラエルの極右とパレスチナの原理主義は、実は利害が一致しているとも言える。
戦争や対立は人間の弱点を煽ることで恣意的に引き起こされる。仏教では人間の根本的な弱点を三毒として「貪(とん)=貪欲」、「瞋(じん)=怒り」、「痴(ち)=無知」を挙げる。戦争の多くは領土や利権のために起こされる。そのために人々の憎悪を煽る。憎悪は差別を伴い、そこには無知がある。
イスラエルの人々の多くは、パレスチナ人がどういう状況にあるか知らず、同等の人間と見ていない。憎悪が渦巻くと、戦争に反対すれば非国民とみなされ、声を上げることもできなくなる。情報が操作され、そういう「空気」をマスコミもつくっていく。私もウクライナ侵攻が始まった頃に、日本の大学院を出たロシア人の宿泊をサポートしたことを非難されたことがある。
そういう形で分断され、向こう側に追いやられることは「普通の人」にとって恐怖なのだ。J.ブッシュは911の後、我々の側につくか、テロの側につくか、と問いかけた。イラク戦争に反対することは反体制のすることで、NGOはそういう輩と見做された。イスラエルの平和をとなえる論客で至極真っ当なとしか思えない知識人文化人は「極左」と言われている。
つくられた憎悪に振り回されず、平和と人権への想いを共有し、分断を乗り越えていく市民同士の連帯を目指したい。
○巻末コラム執筆者
大河内秀人: SJF企画委員。パレスチナ子どものキャンペーン代表理事。浄土宗見樹院及び同宗寿光院住職。 インドシナ難民大量流出をきっかけに国際協力・NGO活動にかかわる。一方で地域づくりの大切さを実感し、寺院を基盤に環境、人権、平和等の活動を続けている。江戸川子どもおんぶず代表、原子力行政を問い直す宗教者の会世話人、ほか。
【ソーシャル・ジャスティス基金】メールマガジン第146号(2023/12/20)掲載