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新しい見樹院伽藍「スクワーバ」の意義

価値ある社会資本を築く 天然住宅から社会を変える30の方法 15

■消費財から資産へ

 現在の日本の一般的な住宅は平均30年足らずで取り壊されています。マンションでも50〜60年と言われています。資産として見ても、いわゆる「減価償却資産」という、どちらかというと消費財的な感覚です。現実に、30代で家を建てると、定年を迎える頃にやっとローンの返済が終わるということになります。耐用年数が30年とか50年であれば、その価値は10年たたずに半減します。ですから働き続け、稼いで稼いで、何とか子どもに家を残すのですが、その子どもも大人になれば同じことを繰り返さなくてはならないのです。
 法律や条例が変わったり、設備や情報環境などが変化して、建て替えを余儀なくさせることもあります。壊しては建て直す、「スクラップ・アンド・ビルド」は、GDPの拡大、つまり経済成長のためにも求められてきました。しかし、いまだにそこから抜けられないでいる発想そのものが、環境を破壊し、無駄な消費を助長し、私たちから豊かさの実感を奪っているのではないのでしょうか。
 数百年使われるのが当たり前のヨーロッパでは、若い夫婦が1000万円のマンションで生活を始め、子どもが大きくなったらそのマンションを1000万円、使いようによってはそれ以上にして売り、少し足して広いところへ移ることができます。パレスチナで、一千年以上前からの建物に代々住んでいる、旧市街の家族を訪ねたことがあります。占領下で収入もほとんどないのですが、それでも住宅という資産に守られているのを目の当たりにしました。一見古めかしく、進化のない退屈な生活に見えますが、消費のために稼ぎ続けなくてはならない日本の生活のほうが、儚く感じられます。
 いま、個々の電化製品の省エネが進む一方で、家庭の中でも様々な設備機器が増え、全体としてはエネルギー消費が不可欠な暮らしになっています。オール電化などはその最たるもので、私たちを徹底的に消費に縛り付けます。競争社会では、遠からずそれも旧式となり、買い替えのプレッシャーを受けることになるでしょう。
 天然住宅は、300年という長寿命をめざしています。しかもエネルギーのランニングコストが小さく抑えられる住宅です。当然、何世代にもわたって、快適に住むことができます。それを維持するためには、モノが長持ちするだけではなく、生活の文化を築くことも必要になってきます。

■お寺がめざすエコヴィレッジ

 私が育ち、現在住職をしている東京・文京区小石川の見樹院では、境内地内に都市型エコ・ヴィレッジとして共同住宅『スクワーバ見樹院』を計画しています。本堂や客殿、庫裏などの寺院施設と、14戸の住宅と事務所または店舗の入る1区画が、天然住宅のコンセプトを備えた一体の建築となります。
 見樹院は延宝3年(1675年)、豊後国(大分)府内城主大給松平家の菩提寺として開創された浄土宗寺院です。その建て替えにあたり、これからの時代の寺としてふさわしい形を模索した末、天然住宅とのコラボレーションで、共同住宅を併設した伽藍を建築することになりました。
 天然住宅のコンセプトが、寺院と共同体を造るうえで、あらゆる部分でマッチしている点については他章であらためて触れるとして、ここでは「資産」という観点に絞りたいと思います。
 この事業は、境内地と隣接する見樹院所有の宅地を一体として、本堂も入る寺院棟と共同住宅棟が建ちます。基本的にRC造ですが、コンクリートは、水分を少なくして長寿命・堅牢化し、外断熱・逆梁構造、他の建材・設備も含め、化学物質は極力(99%以上)排除し、木材は無垢材のみをふんだんに使用します。天然住宅のコンセプトを完全に満たし、300年をめざす健康で長寿命な建物です。
 共同住宅は、100年の定期借地権付の分譲です。定期借地権としたのは、分譲価格を抑えるとともに、土地を投機の対象とせず、純粋に生活のための資産にしようと考えたからです。土地の所有者が個人や企業ではなく、寺院(宗教法人)であることもミソです。通常の定期借地権だと、期間が満了した場合、建物を解体して更地で返すのが一般的ですが、『スクワーバ見樹院』の場合、100年後はそのまま土地所有者へ引渡しとなります。更地にする必要がないのは、300年の耐用年数を前提にしているから成り立つ仕組みです。
 また、天然住宅仕様ではエコ性能が高く、水道光熱費なども最小限になり、ランニングコストも小さくなります。さすがに都会で自給自足とまではいきませんが、雨水利用や自然エネルギー、屋上菜園も備えたエコビレッジです。
 この建設事業は、寺院部分も含め、住宅部分を区分所有する入居者の参加によるコーポラティブ方式で行われます。見樹院の檀家をはじめ、寺を「場」として利用する多くの人々も参画して、新たなコミュニティを創造する事業でもあります。それぞれの人々の思いが形になり、力を合わせて運営し、維持していくとき、そこには信頼と文化が育ちます。
 資産というのは、そのもの自体の今の利用価値だけではありません。それが産み出すもの、それがあることによって消費(コスト)を減らすことのできるものも資産です。価格や換金性ではなく、安心や希望を含めた豊かさをもたらす資産を積み上げていくのが、私たちの目標です。将来のコストを抑えることで利益をもたらし 、文化を創造していくコミュニティの基礎となるとしたら、それは「社会資本」と も呼べるものになると思います。

■「共」の力をつける

 『スクワーバ見樹院』は、寺院部分を含め、社会に開かれた「場」をめざしてい ます。存在や暮らし自体に社会性を意識しているだけでなく、NGO/NPOはじ め、市民による社会活動の拠点になりたいと考えています。そのモデルが、もうひ とつ私が住職を努める、東京・江戸川区の『寿光院』です。『寿光院』では地域を 中心に、多くのNGO/NPOと連携の場を作っています。
 例えば、NPO法人「足元から地球温暖化を考える市民ネットえどがわ」(略称 :足温ネット)が、寺の屋根に太陽光発電パネルを設置し、「市民立江戸川第一発 電所」を開設しました。市民が協力して運営し、もうすぐ設置時に受けた融資の返 済も終わります。今後は発電した電気料金などが市民の資産として蓄積され、新た な事業の原資となっていきます。
 また、寺院の所有地に地域NPO「ほっとコミュニティえどがわ」が、市民の資 金で高齢者住宅『ほっと館』を建設して運営しています。「江戸川子どもおんぶず 」も、別の寺院施設を利用して、子ども支援の活動を行っています。市民が人々の ニーズに対応するだけでなく、未来へのビジョンを持って運営することで、ノウハ ウと共に資産が蓄積されるのです。
 さらに、足温ネットが『ほっと館』の屋上に、太陽光の「市民立第二発電所」を 設置しました。ジャンルの違う団体が連携・交流しています。寿光院が開設した市 民共同事務所『小松川市民ファーム』には、コミュニティ・バンクの先駆けの「未 来バンク」も入っていますが、もともと寺院は、「無尽」や「頼母子講」などの拠 点であり、コミュニティの核でした。寺院はかつてから「お上」による『公』とは 別の、人々が支える『共』の存在だったのです。
 いま、世界的経済危機はもとより、国や自治体の財政も破綻に突き進んでしまっ ています。このとき、『公(行政)』でも『私(企業)』でもない、『共』の側に 有形無形の社会資本を蓄積することが、私たちの未来を確かなものにする道である と確信しています。「天然住宅」は、その暮らしと未来を支える大きな力となるは ずです。


住宅から持続可能な社会をつくる 天然住宅から社会を変える30の方法 28


■いのちへの感性

「日本の山林を守るため」。この目標が、私を天然住宅に引きつけました。都会生まれ都会育ちの私は、中学・高校生のころ山と出会い、そこでいのちの感性を育まれたという思いがあります。厳しくも豊かな自然、多様な生命の営みが、私たちの生活と文化の源泉として存在することに感動しました。
 このいのちの源である山林が、年々荒廃していくことに大きな危機感を感じていました。ダムや道路、送電線などの開発による破壊も、山の生活が成り立たないことで進んでいきます。
 また、国際協力NGOのメンバーとしても、アジア各国で伐採や商業植林をはじめとする様々な「開発」による収奪が、森と人々の暮らしに壊滅的な打撃を与えている現実を目の当たりにしました。
 当然そこにも眼が向けられている天然住宅は、日本だけでなく、世界の森、人々の暮らしと文化を守る事業でもあります。さらに天然住宅が健康住宅である点においても、化学物質過敏症やアトピーといった、当事者でなければわかりにくい苦しみに寄り添っています。利益優先で、大方の人に問題がなければいいだろうというのではなく、今はマイノリティであっても、徹底的に「苦」の側に立った運動は、それに関わる人々の感性を細やかに育てていきます。
 このような自然や人への思いによって、環境や人権に対する問題意識が具体的に共有されていくことは非常に重要です。

■GNP神話と無知

 自然破壊や地球温暖化、あるいは化学物質による健康被害など、環境問題は様々なかたちで現われます。貧困や差別、紛争などの社会問題とも密接に繋がっています。それらの「現象」に共通する根本問題があると私は考えます。それは経済成長を必須とするGNP神話です。いま不況にあえぐ社会は、この期に及んでも「景気対策」を優先しようとします。環境対策にしても、いかにそれがカネになるかがついて回ります。経済の刺激策や企業救済が未来への負担を増大しています。そのような「経済発展」を前提とすれば、人の命より企業の利益が優先されます。貧しい人たちにとって、どんなに必要な薬品であっても、知的所有権が守られ、安い薬品の生産が妨げられるように、人権より利権が強い世界になっています。
 私たちは命を脅かすものから守られる権利があります。そしてそれは本来、便利や発展よりも上位にあるはずです。しかし…。
 原子力施設や戦争を正当化する役人や政治家の発言には決まって、「資源に乏しいわが国としては……」という枕詞がつきます。多くの人はそれで納得してしまいますが、決してそうではありません。恵まれた森林資源があります。それらを背景にした農作物を考えると、ほんの20年前までは、コメも余るほど生産されていました。それから日本の人口が激増したわけではないのです。
 食料もエネルギーも海外に頼らざるを得ないというのは、「思い込み」に過ぎません。企業が収益を上げなくては社会が成り立たないという前提に立っての話であり、自然と共存し独自の生活文化を築くという選択肢を排除しています。省エネが叫ばれる一方で、オール電化が進められるなど、消費を拡大する宣伝に乗せられてしまうのは、全体の構造をていねいに見ないことと、蝕まれる自然や命への感性と想像力が乏しいからではないでしょうか。自分が生き延びるために、破壊や収奪を正当化しても、結局は自分の身に返ってくるのです。
 そのような危険に嵌ってしまうのは、欲望を掻き立てられるのと、本当の現実を知らされないからです。知らさないという情報操作がマスメディアによって行われています。

■天然住宅の先にあるもの

 東京・小石川にある浄土宗寺院の境内につくられるエコビレッジ「スクワーバ見樹院」の名称は、“スクワーバティ=極楽浄土”から採りました。差別も貧困も争いもなく、すべての人々が安心して豊かに暮らせる世界をめざしています。
 戦争や環境破壊をしなくても、未来に負担や不安を押し付けなくても、自然と共存し、信頼と希望で結ばれる持続可能なコミュニティを築き得ると思っています。すべてを自給自足することが難しいことは認識しつつ、都会の消費地に生きながらも、いのちを支えているあらゆる存在との繋がりを意識し、「奪い合い」ではなく「支えあい」の循環の中に自分自身をしっかり位置付け、責任ある暮らし方を追求していきたいと思います。
 それは、蝕まれる自然や命に正面から向き合うことによってのみ開けてくる視界の先にあるビジョンです。尽きることのない欲望を原動力に、止まることのできない二輪車を破滅に向けて走らせるのではなく、有限という現実を受け容れ、再生可能な範囲を見極めた仕組みによって未来につなげていかなくてはなりません。
 天然住宅は、有害なものを排除するから健康なのではありません。いのち豊かなものを積み重ねるから健康なのです。山林を豊かにするためにも、競争に勝って利益をあげるのではなく、同じ「思い」との出会いを喜び、それを広げていきたいと考えます。需要を増やしてマネーをもたらすのではなく、長く使える生活の基盤を固めたいと思います。

■自分たちが積み上げる社会

 小石川エコビレッジプロジェクトは、見樹院としては、武士の子として親の仇をとる道を捨て、すべての人々の幸せをめざして浄土宗を開いた法然上人の800年大遠忌の記念事業でもあります。法然に限らず、親鸞や日蓮や道元などの鎌倉仏教は、それまで鎮護国家、あるいは貴族のための宗教だった日本の仏教を、念仏(南無阿弥陀仏)や題目(南無妙法蓮華経)、坐禅というような、人々が自ら生き方を決め、実践する仏教にしていきました。この宗教史上も大きな転換点となった時代をあらためて見直したとき、まさに今、一人ひとりが世界と未来に向けて行動すべき時だと考えました。
 今の世界は様々な困難や課題を抱えており、その根本に経済成長神話とマスメディアによる情報操作があります。そしてまだまだ国や大企業にぶら下がる発想から抜けきらず、無責任に依存せざるをえない状況がつくり出されています。それがまた収奪に向かわせ、社会的弱者をますます窮地に追い込む構造を形づくります。
 しかし一方で、市民レベル、コミュニティレベルで、現実と未来を見据えた様々な取り組みが行われています。天然住宅はそれらを繋ぎ合わせ、持続可能な循環社会、ひいては搾取や戦争を必要としない社会を実現しようとする試みです。住宅は、生き方を築いていく基盤となるものです。
「差別も貧困も紛争もない社会」は遥か彼方の理想かもしれませんが、そのビジョンと現実の問題と、そのメカニズムをしっかりと意識した市民一人ひとりが、健康と長寿命という環境性能をもったプラットホームの上に、それぞれの役割を果たしていくことで、いのちと希望も持続することができると思います。


金融ビッグバンと宗教−−−コミュニティと寺院への提言 『仏教タイムズ』1998.5.14 

  世界における貧困、人権、環境などの問題の多くは南北問題に根ざしている。つまり、それらの問題状況は現地の「低開発」に起因するのではなく、軍事的経済的な強者による弱者への搾取と抑圧がもたらしたものだ。資本家と科学文明が提示した「豊かさ」あるいは「発展」の尺度を、現地の政府や権力者が受け容れ、先進国にとっては安価な、自国の自然と自国民の労働を外貨に替えるという二重の南北格差が人々を窮地に追いやり、環境破壊をすすめる。そして格差は、国際的にも各国内においても、ますます広がっている。

 その構造的な認識に立ち、国際経済に翻弄されない、住民自身のイニシアティブによる自立した社会をめざすオルタナティブな(別の価値観にもとづいた)地域開発が、NGOを中心に各地で取り組まれている。資金を自分たち自身で管理し、適正な技術や計画で基本的な生活基盤を築くための事業や、相互扶助システムなどを運営している。このような活動を通して、民主的な住民参加の風土と信頼関係が育ち、天災を含めた外部からの圧力に対しても強いコミュニティーが形成される。仏教に根ざしたものとして、タイの開発僧ナ−ン和尚のコメ銀行なども、その先駆的な一例である。

 経済的な「力」に呑み込まれる危険をはらんだ問題として、金融ビッグバンは、日本の一人一人も、資本経済の面で地球規模の弱肉強食の戦場に放り出されるということだ。そこで原則となる「自己責任」とは、極端に言えばすべての他者を敵とする、完全なバトルを意味する。そこで、政・官・財を親玉とした巨大なムラ社会が崩壊し、「分け前」にあずかれない人からどんどん堕ちて行く。
 銀行をはじめとした金融機関のみならず、莫大な赤字と不良債権を抱えたこの国の財政が破綻し、行政サービスや保険、救済システムが崩壊するのも絵空事ではない。米国は国内に南北問題を抱える国とよく言われるが、「強者」の論理にぶら下がっていけば、日本もそれに倣っていくのは必然であろう。

 金融ビッグバンは、WTO(世界貿易機関)の政策やOECD(経済協力開発機構)のすすめようとしているMAI(多国間投資協定)等を伴って、今後ますます人々や中小企業、自治体までを脅かしていく。自由化や規則緩和は、ある面「公」の力の低下を意味するが、これまで「公」に守られていた人々が、力の前に屈せざるを得ないということでは決してない。NGOの社会開発同様、地道でしたたかな市民の出番でもある。

 例えば「未来バンク」という市民組織がある。郵便貯金や大銀行に預けたお金が、自分たちの知らないところで、南の国の人々を圧迫することや環境破壊を引き起こしていることを問題に感じ、みんなで出資して、未来や人々に余計な負荷を与えない事業、信頼できる中小企業などに貸付している。そのメンバーの一人が、「公」ではないが「共」の存在である寺院に眼をつけ、この未来バンクと伝統的な瓦寄進の制度を組み合わせ、自然エネルギーシステムを寺に設置するという市民プロジエクトが具体化しつつある。市民が地域レベルから経済のイニシアティブを取り戻すことは十分可能だ。

 決して世界経済かち隔絶された箱庭経済を提唱しているのではない。開発僧たちがこころの大切さ、他者や自然との共生を基本理念に社会開発をすすめているように、力による支配に対して、人間的な信頼関係にもとづいたコミュニティーがつねに社会の基礎であるべきだと主張しつつ、草の根の市民活動から、国の政策や国際社会に訴えていく運動なのである。
 かつて無尽や頼母子(たのもし)講として相互扶助的金融を産み出したように、本当の意味で人々や社会を物心両面で支える寺院をめざすべきではないか。