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葬儀について

 1日でも長生きしたい。1分でも長く生きていてほしい。しかし、いつかは必ず迎えなくてはならない死と別れ。終えた人生をしっかりと受け止めるだけでなく、その意志を受け継いでいくためにも、その人らしく、悔いの残らないお葬式をしたいものです。
 そのためにはみなさんが、周囲の声に惑わされたり、業者の都合に乗せられたりしないために、正しい知識とはっきりとした意志を持つことが何よりも大切です。
 本人も遺族もしっかりとした心の準備と的確な対応ができることを願い、見樹院ではできる限りのお手伝いをしていきたいと思っています。
 どんなことでも、住職にお気軽にご相談下さい。

目次 見樹院の葬儀と供養の考え方
    もしも“そのとき”が来てしまったら  
見樹院のサポート体制
間違いだらけの葬儀社選び
戒名について
見樹院の葬儀と供養の考え方
人生を未来に生かすために 〜見樹院の葬儀と供養の考え方と実践について

 見樹院において供養とは、世界にも歴史にもたった一人しかいない大切な人のいのちを受け止め、出会った者としての責任を果たしていきたいという意志をかたちにすることです。縁あり出会うことができたあなたと、あなたの大切な人の人生を、かけがえのない財産として後世に活かしていくことが私たちの使命です。
 ですから、葬儀をどのようにしたいかという願いを、人生の集大成として真剣に受け止め、「この世」を永遠に照らす「あの世」での最高の生き方を一緒に求めていきます。その意味で、「残された家族に負担をかけたくない」という思いに応えていくのも当然です。そして葬儀をおこなうことによって、それがごく少数の参列であっても、過去と未来につながる大切な人との絆を深めていただきたいと願っています。

 見樹院では、檀信徒だけではなく、現代社会の様々な問題に自ら取り組み、より良い社会のあり方、生き方を模索する人々と共に、現代のあるべき葬儀と供養をみんなで考えてきました。教えやしきたりが先にあるのではなく、今を生きる人々にとって納得のいくものでなくてはなりません。
 例えば「戒名(かいみょう)」の問題があります。結論から言えば、必ずしも必要なものではありませんし、長くて立派な人があの世で優遇されるというものでもありません。仏縁を深め、その方のいのちの意志、未来への願いを込めてお授けするものです。もちろんご自身でお決めになることもできますし、こちらでお付けするときもご本人やご家族のご希望を生かします。その意味でも見樹院では「戒名料」というものはありません。

 「お布施」についても、「広く施す」という本来の意味に立ち返り、より良い未来を願う「志(こころざし)」を、実際により良い社会を築くための活動に役立ててまいります。それが見樹院を支える人々の願いだからです。私たちは、お布施をすることで救われるとは思っていません。お布施がどのように使われるかが大事なのです。お布施を出す人も、受け取る人も、使う人も、すべてが正しく温かい願いでつながっていなくてはならないのです。見樹院では、葬儀・供養に関わる費用について、基本的に「お布施」としてお受けいたします。もちろんそこには人件費、消耗品、外注費などの必要経費や設備の維持費なども含まれます。しかし、だからこそ、僧侶だけでなくスタッフみんなも「お布施」をいただいている意味を肝に銘じ、社会と未来をより良くするため力を合わせています。

 そして「檀信徒」も、そのような「願い」を共にする仲間、つまり「サンガ」です。「檀家」というと、とても負担に感じる方も多いと思います。しかし見樹院では、お墓のある檀家の人々と、見樹院の取り組みに期待する市民が運営に参加することで、これからの時代にふさわしい、持続可能な寺院のしくみを築いていこうとしています。それはお金のかからない、言い換えれば「お金に頼らない寺院」をめざしているということでもあります。近い将来、檀信徒・会員の葬儀は無料にしたいと考えています。実際それは新しいことというより、昔からあった本来のあり方だと思います。かつて隣近所や親類縁者によって担われていました。今は家族や地域コミュニティの性質が変わり、あらゆることが「消費」で成り立たされる社会になりました。しかしそれは人々の関係を分断し、環境を破壊し、ひいては国家財政も破綻に向かわせ、格差の拡大は平和への脅威となっています。でも、昔に戻れとか、ふるき良き日本とか言うつもりはありません。見樹院での様々な活動を通し、人間本来のあり方に根ざし、ほんとうの幸せ、ほんとうの豊かさへの意志と見識をもって「懐かしい未来」を実践する人々と出会い、その可能性を確信しています。

 見樹院の取り組み、見樹院とつながる人々の活動、そして皆様のお布施の使い道については、ぜひ見樹院のホームページをご覧いただき、またいつでも見樹院をおたずね下さい。そしてご縁あるあなたのいのちが永遠にこの世を照らし、希望ある未来を切り開く人々の導きとなることを心から願っています。

 
もしも“そのとき”が来てしまったら
■まずはお寺に連絡を
 すぐに見樹院または住職の携帯090-3213-4575にお電話下さい。24時間いつでも結構です。
 可能な限り、ご自宅でも病院でもすぐに駆けつけ、枕経(まくらぎょう=亡くなって最初に読むお経)をおつとめし、ご相談などをお受けします。

■病院からの搬送
 病院で亡くなった場合、通常、ご遺体を搬送するところから、葬儀屋さんにお願いすることになります。そのとき、病院でも葬儀屋さんを紹介してくれますが、そうすると、その後の葬儀もそこに任せることになります。そうなると葬儀の会場が限られてしまい、ご自宅から遠い場所でやらざるをえないということにもなりかねません。もう亡くなってしまった以上、一刻一秒を争う問題ではないので、まずここでしっかり考え判断することが大切です。

■葬儀社選びはお葬式の場所を考えて
 最近はご自宅でお葬式をすることがほとんどなくなりました。民間の葬祭場や火葬場の斎場、お寺や町会・自治会の会館などが一般的です。その方その家にふさわしいお葬式をするために、場所は大きな問題です。弔問される方々の利便性も考えなくてはなりません。葬儀社を選ぶ場合、どこでお葬式をするかが大きなポイントです。
自宅 最近は少なくなりましたが、やはり最後は自宅でと思われる方もいらっしゃいます。その場合、ほとんどの葬儀屋さんが対応してくれると思いますが、地元の信頼できる業者さんか、お寺の出入りをお勧めします。
お寺 仏式で行う場合、お寺はもっともふさわしい場所です。見樹院では何百人も参列される大規模なお葬式でも、ご家族だけの密葬でも、余計な出費をかけずに、仏様の前で荘厳なお葬式ができますので、どうぞお気軽にご相談下さい。
町会・自治会の会館 地域の施設は、ご自宅の延長のようなもの。人間関係が希薄になったといえども、地域コミュニティはまだまだ生きています。東小松川南町会のように祭壇をもっている町会もあります。役員さんにご相談下さい。
民間の葬祭場 セレモニーホールや「○○殿」「××会館」といった、葬儀社が運営する専用の葬儀場が増えてきました。それだけに便利で合理的にできているものも多いですが、中にはとにかく場所があればいいというものや下請け叩きの儲け主義など、質の差もひじょうに大きいのでご注意下さい。
火葬場の斎場 唯一の都営である瑞江葬儀場を除いて、23区内の火葬場はすべて民営で、どこもお葬式ができる斎場が付設されています。葬儀屋さんを通じての利用となり、業者間の力関係もあるようです。火葬場が隣だから便利といわれますが、それ自体があまり便利な場所にはありません。

■お葬式の日程と流れ
 「お葬式は人生を締めくくる大事な儀式なんだから住職の日程を優先して」といいたいところですが、現実的には場所と火葬という物理的な条件で決まることが多いのが事実です。ですが、故人の意志とご家族の気持ちが最も大切だと思います。浄土宗としての儀式は別途おこなったり、住職の都合がつかなければ法縁の僧侶に代わりをつとめてもらうなどで対応いたします。
 以下は、東京、江戸川あたりの一般的な葬儀の流れをご紹介します。
 
「友引」にお葬式をしてはいけない?
 もともと友引は中国の戦のための暦で「共に引く」という休戦すべき日なので、むしろ儀礼にはちょうどいい日だったのですが、日本語では「友を引く」と勘違いされ、お葬式をしてはいけない日となっています。もちろん仏教ではこんな語呂合わせは意味がないのですが、現実的に火葬場がお休みなので、めったにお葬式はありません。
 またその前後は火葬場が込み合うので、日程を組む場合に影響が出ます。
通夜と葬儀・告別式
 通常、火葬の時間が決まるとそこから逆算して葬儀の時間が決まり、その前日の晩が通夜ということになります。東京では、葬儀・告別式の後、参列者に見送られて火葬場に向かうのが一般的です。
 通夜の際は、会葬者に「通夜振舞い」として飲食を出します。お焼香を済ませた人から順次別室で、大皿をつついてもらう形式が一般的です。
 「葬儀・告別式」と言いますが、葬儀は宗教的に死者を弔う儀式、告別式はみんなとのお別れの式で、多くの場合一緒にされますが、葬儀は近親者だけで厳粛に行い、引き続き告別式を別に行う本来のやり方もあります。最近では一般の会葬者は通夜の方が圧倒的に多く、通夜振舞いの席もあるので、順序は逆ですが大勢の方々と別れを惜しみ、葬儀は落ち着いて行われるようです。
 葬儀・告別式は読経の後、近親者を中心に棺に花などを入れるお別れの儀式の後に出棺という運びになります。ここでは通常、一般の会葬者は会葬御礼をもらって見送ったらそのまま引き取ります。(この時点では会食などはありません) 
火葬と「初七日」
 火葬場へは霊柩車に続いて、バスや車に分乗して向かいます。火葬の時間はだいたい決まっていて、いちばん融通がききにくいので、誰がどこに乗るのか、行くのか行かないのかで出棺が遅れたり、不案内な人が運転して途中ではぐれたり遅くなることのないようにしましょう。
 本来はお命日を入れて7日めが本当の「初七日」なのですが、火葬場からお骨になって戻ったところで営むのが通例となっています。理屈はともかく、一連のお葬式の行事が終わり、親族がそろっているところで一つの区切りをつけるおつとめです。それに引き続き、労いの意味も含めて「精進落とし」の会食となります。

■身内だけの「密葬」
 ごく近親者だけで静かに送りたい、故人が高齢で直接本人を知る会葬者は少ない、また諸般の事情を抱えて、いわゆる「密葬」も多くなりました。そのとき、一般の会葬者はなくともかたちだけは普通の葬儀を出してあげたい、という場合はともかく、単に葬儀社の規格に合わせて設備やアイテムを目一杯使ってムダな経費をかけている場面をよく見ます。
 心を込めて、自分ではできない本当に必要な部分だけ業者に任せて、家族で見送ればよいのです。決して最低限という意味ではなく、葬儀として十分な弔いができるということです。
 お寺であれば、もともと設備はあるわけですし、搬送(寝台車・霊柩車)と棺と火葬場を手配すれば立派にお葬式をすることができます。健康保険や区民葬の制度も利用できますので、どうぞ住職にご相談下さい。

見樹院のサポート体制
 ご家族が亡くなられたとき、大変なのはお葬式を出すことだけではありません。相続をはじめとする様々な手続きや調整などを一定の期限内におこなわなくてはならなくなります。なにしろ初めての経験でわからないことだらけだったり、気が動転していたり、いろいろな人がそれぞれの思惑でアプローチしてくる中で、咄嗟に的確な判断ができる人はほとんどいないと言っていいでしょう。
 見樹院では、心のケアはもちろん、顧問弁護士、顧問税理士をはじめ、長年の信頼を築いた関係機関やNGOのネットワーク体制によって、あらゆるサポートをおこないます。相続をはじめ、労災や死亡退職金などの労働関係なども、正しい知識をもとに判断しないと後悔やトラブルの原因となります。
 相談だけなら費用も発生せず、対処の仕方が全く変わることもありますので、早め早めにご相談されることをお勧めします。

間違いだらけの葬儀社選び
 できるならそんな事態になりたくない「お葬式」ですが、だれでも必ずそのときを迎えるのも事実です。その時に慌てて、人生の締めくくりの儀式を、不本意なかたちで終わらせたり、無駄なお金を払わされるケースも少なくありません。一般の人にとってどうしていかわからないことが、不安でもあり、いっそのことやらないで済ましてしまおうという声も聞かれます。葬儀にはお金がかかりすぎるという思いもありますし、縁起でもないこととして、病や老いでそれが意識されるほど、話題にするのもタブーとなります。
 それでもほとんどの人は、その時になれば、何とか葬儀を行なうことになるのですが、その場になって急に考えて決めざるをえなくなり、結局不本意であったり、住職として見ていると、幾らなんでももう少し良いやり方があったはずだと痛感することもしばしばです。
要注意!
病院出入りと互助会

 まず第一に、葬儀社の選択です。
 最近では、病院へ運ばれて死亡診断を受けることも含めて、ほとんどの人が病院で亡くなります。そうすると、病院から遺体を運び出すところから葬儀屋さんの仕事になり(遺体を搬送するのは自家用車など、葬儀屋さんでなくてもかまいません)、病院出入りの葬儀社に依頼するケースが多いようです。考える時間や選択の余地も与えず、半ば強制的に使わされることもよく耳にします。
 出入り業者は、病院に多額のリベートや寄付を払っているため、当然それが葬儀代金に上乗せされます。町内会などで、地域の人たちと平生お付き合いをしている業者と違い、ほとんどがイチゲンさん相手でもあり、私の経験でも、タチの悪い業者が目に付きます。

 そして、もう一つ私から見て問題が多いのは「互助会」です。「葬儀はお金がかかる。残った家族に負担をかけたくない。」という気持ちをついて、掛け金を積み立てるものです。しかしほとんどの場合、その積み立てだけではおさまらず、残った家族が「人並み」の葬儀をするために多額の追加料金を払うことになります。それをしなかったために、ほんとにおざなりなことしかせず、腹立たしい思いをしたこともあります。これも、「積み立てていたのだから使わないと損」ということになり、結局、利用者の負担を減らすよりも、お客を確保するやり口だと、私は認識しています。
 選択の幅がなければないほど、日程や会場などの主導権も業者に握られて、寺としても困ることも多いのですが、いちばん気の毒なのは家族です。
 また、「互助会」というと、なにか公的な機関だと勘違いしている人もいますが、ほとんどは民間の営利会社です。

とにかく まずお寺へ

 檀家であれば、葬儀は菩提寺がつとめるわけですから、まずは見樹院に相談してください。本人にとっても家族にとっても一番ふさわしい方法を、一緒に考えながら決めていきます。その期に及んで決して慌てる必要はないのです。

 今の住宅事情や社会状況からすると、まず考えなくてはならないのは場所でしょう。葬儀社が先に決まると、場所も制約を受けることになります。中には、葬儀社の都合のいい場所、一番稼げる会場に持ってかれることもあります。自宅がいいのか、近所の会館がいいのか、会葬者のために便のいいところか、見樹院がいいのか、お寺にご相談いただければ、適当な業者を紹介したり探したりもできます。
 同じ「出入り」でも、お寺の出入りは、寺院(檀家)との長い付き合いがありますし、町会など地域とのつながりを大切にする業者も、比較的良安心なようです。
 会場が前提になると、当然日程の制約を受けます。もちろん住職も体一つですから、都合がつかないこともありますが、法縁の僧侶に依頼するなど、見樹院として責任を持って対応します。
 最近は火葬場の斎場で通夜葬儀を行なうことが増えました。これも業者の都合が優先するようです。東京23区の場合、火葬場は、江戸川の瑞江斎場を除いてすべて葬儀屋の元締めのような民間業者が独占しています。そことの関係があるようです。
 あまり裏話的なことを書き並べるつもりはありませんが、このような場合においても「消費者」として賢い選択や判断をすることが、故人にとっても家族にとっても、そして健全なしくみを作る上でも重要だと思います。

 このように、見樹院にまずご相談いただければ、葬儀の執行以外にもできる限りのサポートをします。相続などの問題に関しても、見樹院の顧問の三宅弁護士や白井税理士に住職から相談することもできます。ぜひお気軽にご相談ください。

 いずれにしても、とくに心の救いを求めたいところですから、利害関係ではなく、本当の信頼関係が大切です。そのためには、その時になって目の前にあるものに急に頼るのではなく、普段からの関係や心構えが必要なのです。
 そして、実際あなたの葬儀を執り行うのは、残されたご家族です。いくら本人がお寺としっかりお付き合いしていても、そのとき判断できるのは遺族です。その方々の意向や都合を尊重しなくてはなりません。ご遺族が、お寺について何も知らなかった、住職に相談するなんて考えてもみなかったということを、すべて決まった後(時にはすでに葬儀も終えられてから連絡される場合もあります)に聞いて、がっくりしたり、悔やんだこともあります。ご家族の方には、自分の意志と菩提寺のことを話しておいてください。
 お檀家の中には、住職も忙しそうだからとか、遠いからとか、気を使ってくださる方もおられますが、私としては、どんなに遠くともご縁のある檀家さんの一大事にはできる限りのことをしたいと思いますし、先にも申したとおり、重なってしまったりしても寺として責任を持って対処します。
 費用のことが気になる方ほど、福祉や区民葬の情報網もありますし、本来僧侶はボランティアだと考えておりますので、安心してご連絡ください。
戒名について
 戒名は本来、正式の仏教徒に授けられる名前、つまり「仏になる(煩悩をふり払い、執着を捨て、本当に安らかな悟りに至る)」ことをめざし、教えに従って生きていく人であることを示す名前です。
 仏門に入るときは、「三帰(さんき)五戒(ごかい)」を授かります。「三帰」とは、仏・法・僧の三宝(さんぼう)に帰依すること。「五戒」とは、

     一、 生きものを殺さないこと。
     二、 盗みをはたらかないこと。 
     三、 邪淫をはたらかないこと。
     四、 うそをつかないこと。
     五、 酒を飲まないこと。

という五つの戒律(戒め)をまもることです。
 以上の「三帰五戒」を授かると、正式な仏教徒になるのです。
 ここで重要なのは、その戒律のとらえかたです。たとえば「生きものを殺さない」といっても、その解釈には幅があります。最大限に考えると、人間の生命を維持していくことはできません。
 しかし、「そこは常識で」という甘さが許されないのが、宗教的な考え方です。そこまでいくと、現実にはとても守れそうにはありません。しかし、日々の生活や行動において、宗教的レベルでその戒の意味を考え、自らを照らし合わせ、仏教徒としての自覚を喚起するように心掛けることはできるはずです。
 それを犯したからと言って、他人から罰せられるわけではなく、あくまでも裁くのは自分自身と仏の「こころ」です。言い換えれば、犯さずには生きていけない自分を深く見つめるための戒であると言えます。
 しかし、ご存じの通り、戒名には、字数とか院号、居士と信士の違いなど、いろいろ差があります。お寺や教団への貢献度、信仰の深さによってなど、それなりに理由があるわけですが、別に偉そうな戒名がついたからと言って、あの世でいい暮らしができるわけではありません。
 また、仏弟子になったしるし、その寺の信徒になったしるしに授かる厳粛な名前ですから、カネで売り買いするものでは本来ないはずです。
 これだけ寄付すれば、寺のためになっているのだから、いい戒名をもらって当然と言う考えもあるかも知れません。また、伽藍を維持したり、それなりに運営をしていかなくてはならない寺にとっても、それは有り難い制度かも知れません。
 しかし、神聖であるべき入信の証(あかし)が、「地獄の沙汰も金次第」というような金権思想を助長しているとしたら、あまりにも残念です。正しい信仰からは、決してそう言う発想は出てきません。そしてそのことが、人々、とくに身内を亡くして悲しみの中にある遺族に不安を与えたり、寺や仏教に対する不信になるとすれば、そんなもの要らないと断言します。
 戒名本来の意義を感じて、積極的に仏教徒として生きていこうという方は、いつでも「お授戒」をして、お戒名をお授けいたします。ご先祖の年回法要などおついでの折でも結構です。
 その他、ご質問やご相談なども、お気軽に住職までお訊ね下さい。