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宗祖法然上人800年大遠忌 記念
見樹院建築計画

極楽浄土●私たちの四十八願

浄土宗は、“念仏(ナムアミダブツ)を唱えて極楽に往生する”ことを目標にする宗派です。その極楽というのは、経典(無量寿経等)によれば、差別も貧困も争いもない、環境にも優れ平和と平等が保証され、全てのいのちが祝福される世界ということです。

800年前、平安末期から鎌倉にかけての時代、浄土宗をはじめとする鎌倉仏教、つまり浄土(真)宗、日蓮・法華宗、曹洞・臨済宗の各宗は、それまで貴族をはじめ一部の人のものであった仏教を、民衆のものにしました。お上に頼るのではなく、人々自らが念仏を唱え、題目(南無妙法蓮華経)を唱え、座禅を組み、自らの生き方を決め、未来をつくり出して行ったのです。生きる上でのビジョンを獲得し、自ら実践を選び取ったのです。

であるならば、現在、「民主主義」の世界に生きる私たちこそ、そういう自覚の上に立った生き方が求められています。800年前とは違う圧倒的な科学的知見と生産能力を獲得し、社会思想も発展した中で「一票」を持つ現代人としての責任と可能性があります。

仏教は、天地を創造し、運命を支配し、命を吹き込んでくれる絶対神への信仰とは正反対で、あらゆる存在は他のすべての存在との関係性の中に成り立っているとします。時間的にも空間的にも、あらゆる他者と、原因と結果、条件と存在としてつながっているのだと説きます。

というと、多くの坊さんたちは「だから祖先に感謝しろ」と言います。それは間違いだとは言いませんが、釈迦の真意は、過去や周囲への感謝以上に、未来や世界に対する責任と可能性に目覚めよということなのです。我々が変えることができるのは、過去ではなく未来であり、我々の行動が未来につながっているということが、責任と同時に希望にもなるはずです。

その希望を形にするのが寺の役割です。今回のプロジェクトがめざすのは、300年という耐用年数で森をはじめとした環境を保全することや、ハード面・ソフト面でコミュニティの真の資産を構築していくこと。健康や省エネに対する配慮で、これからの生き方を提案し、未来のあるべき社会(極楽)のモデルを示すことです。

そのビジョンのスローガンとして、私は、「欣求浄土 無核無兵」を掲げています。地域が自立すること、それが出来なくても、都市の生活が、農山漁村や途上国と対等な共存関係を築くこと。とくに、資源の収奪のために戦争を引き起こし、環境を破壊し、未来に負の遺産を残すようなエネルギーに頼ることのない社会をめざしたいと思います。

「無核無兵」は、六ヶ所村の村長だった故寺下力三郎さんが訴えた言葉で、10数年前、宗教者の集会で私が初めて六ヶ所を訪れたとき、かつて満蒙開拓に駆り出されて裏切られ、また青森に入植して翻弄される六ヶ所村の集落の歴史を振り返り、「君が代」ではなく、「民が代」の国にしなくてはならないと熱く語られた言葉が強く印象に残っています。

私にとって、このようなビジョンを共有して活動する仲間は、仏教者は少数で、圧倒的に市民活動やキリスト教の人々が中心です。かつては宗派内や仏教者で団体をつくって活動したこともありましたが、私的にはことごとく失敗しました。そういう集まりは、社会や地球のビジョンよりも、仏教伝道や教団のステータスが優先するのです。

また、私自身、大学卒業以来、国際協力NGOで活動してきました。とくにここ20年近く、パレスチナのムスリムコミュニティをフィールドにしてきましたので、イスラム文化にも共感を覚えるものです。イスラムに関しては、ウソも含めてネガティブな情報によって誤解と偏見が蔓延していますが、その偏見が容認している占領下の不当な支配による過酷な状況においても、世代を超えたビジョンを持って希望を捨てずに生きています。

私がはじめに「ビジョンが重要」と申しましたのは、他宗教や他文化の人々であっても、あるべき社会(平和・人権・環境)ビジョンを共有することは可能であり、それを現実の苦しみへの共感の上に、共に積み上げていけるという手応えを実感しているからでもあります。

私たちは、真実の情報と、他者とのつながりの認識があれば、時代に合ったビジョンを持ち、一人ひとりが自分らしく生きていくことは充分可能です。

法然は、800年前、「時機相応」の教えとして念仏を広めました。私たちは現代の「時機相応」を追及しなくてはなりませんが、そのひとつが「天然住宅」であると確信しています。